こんにちは、ポスト田イット乃です。
今回は前編後編で書いています。
テーマは「自分の中の他者性に優しくすること。」
前編でははあちゅうさんと山本理沙さんのポッドキャストを出発点に、はあちゅうさんが最近の病気からの回復への感想を「人間に戻った」と表現したことを記し、そこから考えたことを書いていました。ポッドキャストを聞いて考えた仮説は、"はあちゅうさんは自分の中の他者性に厳しい"ということでした。その厳しさを優しさに変えれば、彼女はもっと楽に生きられるのではないかと思い拙稿を綴っていました。
もしもはあちゅうさんが他者や自らの他者性に優しくなってしまったならば、はあちゅうさんははあちゅうさんではなくなってしまうかもしれません。しかし、人格が変わってしまうほどにここ半年は辛そうにみえるので、彼女に届かなくとも気持ちや見える景色を文章にまとめておこうと思いました。
さて、前回は電車に乗り過ごして終わりました。戻る電車から降り立ったのは京阪祇園四条駅。11月の京都のど真ん中は四方に外国人観光客、彼らにとっては私は通りすがりのただの他者です。
向かう先は協会けんぽの事務所、そこでは約1時間40歳に向けた健康スタートアップ支援を受けました。健康保険に加入している人でBMI値や腹囲が一定以上の人が受けられるサービスで、自己紹介もそこそこに妙齢の女性が体組成計の値や普段の食事、運動習慣を確認して次なる1歩を教えてくれます。3ヶ月後にまたフォローアップ面談もあり、とても親身に話を聞いてくださいました。女性の名前はいまだ知りません。
毎食野菜小鉢2杯のノルマを課されたので、新京極で早速お野菜ランチをいただきました。
そこから、岡崎の京都市近代美術館で行われているLOVEファッション展へ。
松川朋奈さんの子どもへの愛をテーマにした油絵に涙しました。
最上階にあった映像作品が、他者性を感じさせる作品で本職の芸術家の企みに感心しました。海外風の顔つきの少年少女老女の顔がおおきなパネルに映って独白をしている作品。語る内容は日系移民の自伝、話す姿はAIにも見えます。熊本や千葉の方言が混じる英語で自身の経験を語っているのを聴きながら、私は今日本人であるけれども移民となれば移民となる、そんなことを想いました。他者になれる可能性へのワクワクした気持ちと自分が無くなる不安が同時に襲う不思議な感覚を味わいました。
私はこういう気持ちをブログを読んだ方に味わってほしいのだと憧れましたが、高度すぎてできません。昔乱読していた本に夢中な気持ちを誰かに感じてもらえれば、そんなに素敵なことはありません。美術館に展示されている美術作品と拙稿を比べることは愚かにも程があります。しかし、とても刺激になる展覧会であったことは確かです。
いつも行かない場所に1人で行ってみる、いつもと違う物を食べる、いつも見ないものを見てみる、「自分の他者性に優しくする」経験とはこのようなものであろうと思います。いつもと違う病気の私をいつもと違う心持ちで優しく扱ってみるというのも良いことだと思います。
そうすれば、病気のときも損した気持ちになりにくいかもしれませんね。
お読み下さりありがとうございます。また来週!