おはようございます、ポスト田イット乃です。
海外リゾート地でシングルマザーが用意した一人息子へのバースデープレートを見て、"私の"心が削られたのでその辺つらつら書いていこうと思います。事前知識として、"私は"39歳パート勤務で3人の子どもがいます。ヒトゴトなのに何故か傷ついている自分を感じたので書いて究明していきます。
↑「チョコペンを勝手に開けるな!」と叱りつつ子どもと一緒に作ったクッキー
発端
「子どもと一緒の旅行はさみしくないですよね。」こんな風なことを人を言われて、子どもと一緒ならば記憶ではなくて思い出になるとシングルマザーの彼女は言っていました。強がりではないかしら。「記憶」でも「思い出」でもどちらでもいいんだけれど、誰かがいればさみしくないなんてそんなことはないよと"私は"主張したい。子どもと一緒でもさみしいものはさみしいと言いたいだけで、夫とも離婚している発言主がさみしい人だと言うつもりはありません。
3度挫けた"私の"祝意
パートナーがいるいない仲が良い悪いにかかわらず、すれ違いが起こるとさみしくなる、そんな単純な話です。"私の"子どもは今月9歳になりました。読書家で2次資料を楽しみ過ぎているきらいがあり世の中のことを大分分かり始めてきた年頃です。"私の"気持ち一つで子どもの誕生日を進めていったのは悪かった、にしても、ここまでのことはこれきりにしたい。
1つ目の祝意は誕生日に子どもに良い服を着せてあげたかった、2つ目の祝意は家族みんなでバースデーディナーを囲みたかった。1つ目は夫に事前相談が無かったことを夫に叱られました。そして、2つ目は叶わず、3つ目の祝意としてケーキセレモニーを企画しました。"私は"子どもと丸1日かけてケーキを焼きました。それもまた叶わなかったのです。私たち夫婦はずっと忙しく働いてきて、いま少し余裕ができて子どもは誕生日当日にバースデーイベントをしてほしいものであることを今年初めて知りました。だから、ちょっと"私は"空回りしてしまったのかもしれません。
2つ目3つ目が叶わなかったのは、夫が誕生日を祝う数時間に居なかったから。最初は遠方の私用の帰りに渋滞に巻き込まれたから、次は祝日なのに夫に外せない仕事が来たから。1日かけて用意した2段のチョコレートケーキを写真でしか夫に見せることができなかったのは残念でした。子どもと一緒に作ること自体は楽しかったです。しかし、夫がほんの数時間を2回続けていなかった、それだけのこと。3人の子どもと義母としたケーキセレモニー。さみしいものはさみしいのです。そこに居れなかった夫自身と誕生日を祝われる子どもの気持ちが大事ということにすべきでしょうが、今回の"私の"さみしさをなかったことにはしたくありません。
さみしいときにはアートを
自分自身、"私の"ような人間は2人といないと思っています。本当はすごくこだわりが強くて、本当は神経が細かくて、本当はすごくものを沢山考えていて、本当は本当は…ものすごくさみしがり。本当は…な"私が"沢山いるけれど、黙っておく。年をとると"私が"は隠せなくなります。本当は…を言わずして理解してくれない周りの人を恨むことは筋違いです。
どうしようもない状況に耐えねばならないとき、"私は"よくこれまでに見たイメージが降りてきます。今回は、大学の東洋美術史の授業で教わった絵で中国の皇帝が持っていた水墨山水画。真ん中に大きく立派な山があり、絵師はそれを皇帝であるとしたと講師に教わりました。向かって左手には、赤ちゃんを抱いた女性が漁を終えた男性を迎えており、向かって右手には数人連れ立って旅に出ている人が描かれます。
どちらも小さな楽しい瞬間で、それもこれも皇帝という大きな存在があるからだと講師は解説しました。その絵を思い出して"私の"さみしさは少し和らぎました。まさか数百年前の絵師に励まされて中国の皇帝に共感するとは思いもしませんでした。こんなさみしさに寄り添える絵師がいるなんてとても皇帝は驚いたことでしょう。友人と野山を歩くこともできず家族と温かい時間を過ごせずに、大きな存在でいるしかないことはとてもさみしいことなのです。
強がらないでさみしいっていいなよ、大きな存在でいることはさみしいことだよ。写真をみて心削られた私から写真を撮ったあなたへこんなことを伝えたい。思い違いでなければいいのだけれど、ここはBBA☆ZONE、つまり、老婆心を書きつける場所。どんなに頑張ってもさみしくなるときもあるけれど、挫けずによい時間を過ごしたいものですね。"私は"そう考えています。
お読み下さりありがとうございます。