おはようございます、ポスト田イット乃です。
本日は私のXのポストのコピペです。
20代の女の子に伝えたいことは、「人生はコンテンツ」とか「人生はゲーム」なんてポップに人生について語る人は嘘つきだということ。生きることは重いし死ぬことも重い。それを教わったのは18年間難病闘病した父親で、彼が自分の死ぬことを1人で背負ってくれたから私はキャリアを積めたのだ。
難病は私の強くて明るくて頼もしいお父さんを奪っていって、そのことを心悲しく思ったことも多々ある。だけど、父は、母と2人だけで死や病を背負って最期まで周りの人への感謝を持ち続けた。これは弱い人間にはできないことだと30代で色んな病の人間を見てわかった。生きることも死ぬことも重い、人生は重い。
その重さをどれだけ自分で背負えるか。ポップな言葉で誤魔化さないで、どれだけ背負っていけるかを試すのが成人年齢の18歳から20代でやるべきことだ。責任を背負えるようになるのよ。元気なうちになるべくたくさん背負おうとする方が、いいと思う。これからの20年は気力も体力も減る一方だから。
夢を見たのよね。スキー場併設の大学施設に夫と冷蔵庫を取りに行く段取りをする夢。新生活をする誰かのために、その冷蔵庫を融通するみたいな夢。そういえば、京都に来てからずっとそういうことで忙しく生きてきたのよね。夢って面白い。だからこれを書いてるのよ。
時間帯は深夜1時で「夜スキーする人もいるから駐車場は空いてるだろう」などの会話をした。夫と私はそういうことばかりしている。冷蔵庫も相当重い。だけど、それさえあれば、誰かの新生活、誰かの人生は始まるのだ。だから私たちはそれを、誰かの人生を始めるために深夜に運ぶ。人生は重い。
良ければこちらも是非読んでね。
8/3追加の父親語り(何故かですます調)
何がどう伝わるかは分からないけれど、うちの父は長いこと養護教諭をしていたんですよ。知的障がいの子どもから始まり、最先端の院内学級で教えていたこともあるし、盲学校まで。その道の大ベテランだったんですよ。社会科を教えてて、基本的人権をかざせばなんでも出来るんだって嘘ついてたんですよ。
大きな大きな嘘をついていたから、難病なんてバチが当たったのだと思います。生まれ故郷の堺市は福祉が充実した良い街です。私の幸せはそこになかったけれど、とても豊かないい街です。そんな環境で真っ直ぐ自分の教育と福祉の道を極められた父は幸福だったと思います。
今後万が一経済が上手く回らなくなりこの国にお金が無くなって、弱い人たちが基本的人権をふりかざして自己実現できなくなる、生存できなくなる。そういう日がくるかもしれません。そんな目に遭う人がなるべく少なくなるように、父と同様に身を粉にして働こうと思います。
父が困難を抱える子どもたちに伝えたかったことを、「嘘ついてた」と言いたくなるほど18年間は心密かに辛かったんです。なんでもできるためには周りの協力や犠牲が必要です。私は一つも文章が書けなかったんです。何が嘘で何が本当かわからなければ永遠に残るかもしれない言葉など使う事はできないのです。