半径5メートルはババァゾーン

38歳一ババァの日常を皆さんにお届けします。

現代日本昔話:ヤリモク旅行〜3日間で13回〜

こんばんは!ポスト田イット乃だよ。

来週木曜日で38歳になるんだ!誕生日まで1週間をきった本日は、私の20代の頃のお話。1つここでお願い。10代は絶対読まないで勉強を頑張って。30代以上は自認年齢が20代の方だけ読んで、それ以外のいい大人の方はそっ閉じしてね。内容は「20代のヤリモク旅行はいいぞ」以上。

 

むかーし、むかし。

あれは私が22歳、彼ピが24歳のときだった。私は一浪、彼ピは院進だったのでまだ2人とも大学生だったのだ。付き合って1年、同棲を初めて半年、彼ピの親族の間で1つの問題が持ち上がった。地方にある彼ピの祖母宅の庭の木が隣人に迷惑をかけているというのだ。

そこで彼ピが夏休みに行くことになった、偶然その地方で私の兄夫婦が働いていたので私も行かない理由がなかった。車は彼ピの実家の車、5時間の深夜ドライブをし、車中泊、おそらくそこで1回目をした。朝食をコンビニで済ませ、彼ピの祖母宅に到着した。

彼ピが中学生のときに祖母はこの家のトイレで孤独死し、豪雪の中でお葬式が行われたという。祖母の子どもは4人、サラリーマン家庭で学を得て高度経済成長期を背景にそれぞれ家庭を関西に持った。そんな祖母のお葬式に出られなかったことを彼ピは後悔していた。

10年は放置されていた平屋のアンテナは傾き、庭は木で埋まっていた。いぶかしがる向かいの家の人に親族であることを告げた。雨漏りはなくとりあえず寝れそうだ。彼ピの祖母の小さな仏壇に手を合わせて、寝れる布団があるかを確認し、とりあえず2回目だ。翌日は私の兄に会うことと市内観光の予定を入れて、樹木を切る作業と疲れたらシてを交互に行った。

砂丘までビキニと短パンで夕日を見に行った。砂丘ではシていない。昼食と夕食はロードサイドで適当に食べて風呂は使えなかったので水を浴びて一緒に寝た。夏は気楽だ。

翌日は、朝起きて8回目までして、市内中心部へ。彼ピの父親の母校のそばを通り兄夫婦と会い、兄夫婦に彼ピを紹介した。カレーライスとその土地の美味しい刺身をご馳走になる。市内観光をして互いの写真を撮り、地方出身の友人の実家の商店にアポ無しで行き、写真を撮った。また彼ピの幼少期の思い出が沢山詰まった廃屋で水を浴びたのだろう。とにかくこの旅行、風呂に入った記憶が無い。2日目で11回。

3日目の朝で13回目をシた。祖母宅の前で自撮りで記念撮影した。帰りの車の暇つぶしのために買った漫画がドラえもんゲゲゲの鬼太郎かは思い出せない。道中の車の中で1回喧嘩はあったが、とにかく3日間で13回っヤるってとバカな2人で共犯者気分を味わった。また5時間の長距離ドライブで帰った。

 

さて、最後に回数ができた理由を言おう。私たちのセックスには言葉がなかったからだ。私は人一倍複雑な人間であることを自覚している、そこで趣味が合うということは全く求めてはいなかった。映画も彼ピは邦画派、私は洋画派、同じ文系でも彼ピは法学、私は文学と社会学。私たちはただ人と一緒に寝ることが好きで、贅沢の感覚が同じであることの2つだけが合っていた。

見つめ合って身体を引きよせてヤる。同じ金銭感覚のものを食べる、それ以外がないので回数ができたのだ。20代の人にこんな夏休みをオススメしようと思ったのは、38歳間近の今同じことをすると帰ってから3日は動けない自信があるからだ。当時は1日しんどいだけだった、20代の回復力はすごい。

それから14年経つけれど、今でもこの旅行と同じようなことをしている。働いて、遊んで、一緒に食べて一緒に寝る。私と彼ピは共々複雑な性格だけど、とてもシンプルに生きている。私が一緒にいることだけを彼ピに許して、分かり合うことを放棄しているから。言葉責めについての私の性癖についてはエロコンテンツでなんとかなってる。

 

最後に一言。

ヤリモク旅行にコンドームは6個入り3箱をもっていくこと

 

以上、読んでくれてありがとう💕