私の人生の相棒は右膝の中にあるボルトだ。
2015年の始め、30歳第一子妊娠中の私は雪道でバイクですべり右膝のロッキングを経験した。足がくの字に曲がったまま伸びず緊急入院し手術、妊婦だったので総合病院の産婦人科に入院した。
そこで半月板の3分の2をとり、膝の中央にある十字靭帯が切れていることがわかった。多分ずっと切れていたのだろう、20代後半は歩くたびに痛く週一回の整形外科通いをしていた。くの字に曲がったままなのは戻ったがずっと痛い。見舞いに来た私の母は「イットと代わってあげたい」と泣いた。
出産後半年で、夫の実家に子どもを預けて右膝の靭帯再建をした。リハビリして痛みを抱えながら職場復帰、社会の足場がなくなるのが怖かった。子どもの母としての居場所はあるけれど収入があってこその自分だと信じていた。2人目の育休中に右足に入っている3本のうち2本のボルトを抜いた。位置的に1本は抜けないのだ。
手術をへて20代後半に悩まされていた、歩くたびの右膝痛は無くなった。人生で1番美しかった時期を労働と通院に使ってしまったのをひどく悔やんだ。今でも、使いすぎると痛みと不安定さは出る弱い右膝だから、右膝の気分に付き合うしかないときがある。抜いたボルト2本は手慰みにやっていたかぎ針編みで包んでお守りにした。
両親や夫にまで痛みや辛さを口にしない美しい自分が好きだった。そんな自分のはけ口がネット上にセミプロのエロ小説作家さんが公開していたNTR小説だった。作家名こそ恥ずかしくて言えないが、私の心に入ってくれてきもちくしてくれた存在で、痛み止めとして大変ありがたく読んでいた。女性が美しく描写され、たくさんの男性との行為を通じて社会に求められているように描かれており1人痛みに耐える寂しさを忘れられる作品群であった。
右膝の回復と共にNTR小説は読まなくなった。もはやあの苦しみは前世の記憶みたいだけど、あのときの恩は忘れない。右膝の中の相棒、1本のボルトは意識することはない。だけどずっと私を支えている。足は使わなければダメになってしまうから、本が好きでドラマや映画をみるのが大好きだけど、本当に足がだめになるまでは文章を書く仕事はしない。もともと心肺が弱い家系なので足のトレーニングは心肺の負担を減らすために重要である。
以上が、今私がリハビリセンターでハードな接客をこなしつつ、Twitterでエッチなおばちゃんをする理由である。今後ともよろしく。