こんにちは、根釜陳右衛門です。
「根釜夫人の愉楽」では、実現可能不可能は横に置いた書き物の企画を立ててみます。何事も企画段階が1番楽しい。その楽しいところだけをたれ流そうというクズ企画です。
「非モテ恋活詐欺」を企てる。
恋愛は人生の一大事。どのような人と恋愛関係を結び婚姻にいたるかで生活レベルが変わるのは、民法第752条の夫婦の扶助義務で明記されているところでもあります。(扶助義務:夫婦の一方が扶助を必要とするような状態になったような場合に、他方は自分と同等の生活をすることが出来るようにしなければならない。)
単なる「あなたが好き」というところから、扶助義務を互いに負う関係へ。そのめくるめくドラマをネットでオンエア、発生する喜びや悲しみに人々の耳目と共感を集め、ときに批判も燃料とし大団円まで引っ張っていく。
最初は非モテであればあるほど、ビルディングロマンの楽しみも加わり一つ一つのネタが次への伏線となる。主人公は非モテ女性で決定。さて、非モテ女性をアピールするためには何をすればいいのでしょう。
非モテ女性がわからない。
ここまで楽しく考えて来ましたが、ここから苦しくなったので苦しい胸の内を書き散らして終わります。申し訳ないけれど、そういう企画です。
根釜夫人には非モテ女性がわかりません。男兄弟の真ん中で育ち男性に緊張することがないため、ロマンチックな恋やイケメンをはべらす欲望もなく高校時分から男友達、彼氏の類はきれたことがありません。
勝っているのか分からないけど、勝因は選り好みしないことと負ける恋の勝負はしないこと。自身を非モテ女性と喧伝したブロガーの方、非モテとしてのタレント性があったのだなと認識を新たにしました。
「モテ」が喧伝された2000年代。
思えば15年ほど前でしょうか、モテるモテないが若い私たちの間で一大テーマになっている時代がありました。いえいえ、ファッション雑誌が「モテ」を叫んでいる時代がありました。そのときはSNSもmixi(ミクシィ)しかなく写真の加工なんかパソコンなしでできなくて、出会い系サイトは危険な場所、気晴らしの議論は2ちゃんねる。
東京のギャルは109だの援助交際だの華やかな様態を見せていたけれど、地方出身の真面目なお嬢さんである根釜夫人は文系大卒に求められる勉強に卒倒しそうだったり、生活費を稼ぐのに必死だったりしました。きまぐれに派遣とかも登録してみたけれど、イマイチ割りにあわない感じ。
そんなこんなで2022年
昨日の加藤智大氏の死刑執行のニュースをうけて、あの事件があった2008年の同年代若者の空気を書いてみようと思い立ちました。
当時ネットの「非モテ恋活」コンテンツの需要は確かにあったことを認めます。インターネットで大量の情報の交換が気軽にできるようになり、自分好みの新しい人間関係の構築が誰でも可能になる。その近未来像が美しく見えた若い日々でした。
しかし、それによって人は大きく変わるものではないのだと思いを強くした15年間でもありました。強い言葉を使って沢山の人の記憶に残る企画を打つ、それができないのが根釜夫人。来月もまた何か思いつくのでよろしくお願いします。
小学校の子どもが夏休みで、お弁当づくりを始めました。