おはようございます、ポスト田イット乃です。
なかなかモヤモヤして寝付けないので、敬老の日に亡くなった105歳の祖母に母親として共感したことを言語化しておこうと思います。少しキャラではないのですがお付き合い下さい。
多感で直感が強い私のおかん
私のおかん、つまりは祖母の娘は多感な人で、あれこれ細やかに物事を穿って見ていきます。子どものように朗らかに、思ったことを口に出すので、子ども心にその幼さを面倒くさく思ったり、ときに傷つくこともあります。憤怒にかられたり癇癪が強いという部分がない分まだ付き合えています。だけど、感情が強い分、その感情をテコにどこまでも面倒臭いことも1人でやり抜いて、頑張りすぎて1人で寝込んでいたりする。あれこれ悩む割に最終的な結論は合っていることが多く、社会的にトンチキなことを言うことがあるけども、人に対する直感は信頼できます。
彼女を幸せにすることはとても大変。だから、彼女を介護しなければいけない未来のために、私はかなり悩みましたし、かなりまわり道をしています。
娘が立派になって戻ってきたら
正直、うちのおかんを育てるのは大変だったと思うんです。よく見聞きする努力家だけど、彼女の世界は独特で、どこを押したら何が出るかわからないうちのおかん。そんな子が遠い土地で暮らしているなんて、母親として心配だったと思います。母を祖母の元まで送り届けて、母が祖母の身の回りの世話をしていたのは16日ほどでした。多感な娘が周りの人と協力できるようになって、自分のことを助けられるほどに立派になったことは実感できた。そうして、もうここでいいんじゃないかと、静かに息を引き取ったのだと信じたいです。
幸せな生とは何か
祖母の105年間の生き様は、衣食住が足りていればいいのか周りの人間関係が良ければいいのか、少し分からなくなるほどのインパクトがありました。祖母のように私も長く生きられると信じて、今後とも考え続けたいと思います。
お読みくださいまして、ありがとうございました、ポスト田イット乃でした。
母を送り届けたときのこともどうぞ(先月から含めて2ヶ月で4回鹿児島に行くことになろうとは……)
なんぞと人の問ひしとき
https://nekamachinemon.hateblo.jp/entry/2023/09/04/174234