半径5メートルはババァゾーン

38歳一ババァの日常を皆さんにお届けします。

ありす🍑さんのこと。

こんばんは、ポスト田イット乃です。

 

本日は2021年からSNS上でやりとりしているありす🍑さんと私についての話をします。

 

2020年夏に第3子を出産した私は、2021年夏には第1子出産後以来のひどい産後うつを患っておりました。第3子はコミュニケーション能力が高く、8ヶ月のときの人への笑いかけ方が違いました。決して悪いことではないことでも悩むのが子育て。優れた素質を活かせる道に、この子がたどり着けるのか、そのために親は何をすればいいのかひどく悩んでいました。

第1子は5歳。妊娠中に大怪我をし、職場復帰どころか社会復帰に邁進していたときの子ども。働けなくなることへの不安からワーカホリックでした。彼女からパンが嫌いと聞く度に、慌ただしい朝におざなりにパンを食べさせていたことを悔やむ気持ちになります。

第2子は3歳、よく言うと……体格が良くとても感情表現豊かで、つまりは細々としたお世話が必要な子ども。光のまぶしさや痛みの感覚が敏感で、1度飛び火になると触ってしまうため、なかなか治りません。地域にある皮膚科数件全てに連れていきました。

子どもについてはどれだけ語っても語り尽くせないのでこれぐらいにしますが、三者三様、心の底からただかわいいと言えない気持ちがありました。私は読書を趣味にしながらも、20代前半から文章が書けなくて、募る気持ちを言葉にまとめることができませんでした。

そんなおりにアンチ活と推し活をしているSNS上で出会ったのがありす🍑さんでした。顰蹙を買おうが素直に全てをSNSに綴っていき、たまに独自の理屈を述べる彼女のSNS運営が楽しくて、名前を覚えていいねをするようになりました。

そのときの私は、表立って感情的になることが苦手でした。ワーカホリックな毎日は我や感情を抑えて上手くいくことが多く、抑圧が過ぎて人格が統一できなくなっていたと言っても過言ではありません。産後うつであり多重人格、その表現のすべを知らない3児の母。そんな私には自由に書いているありす🍑さんが輝いて見えて好感をもちました。

しかし、2021年7月、かなり独善的に怒っている彼女を見ました。怒りを収めるように説得もしましたし、やや錯乱している様子もありました。そこで、たまたま予定していた鳥取旅行で撮った美しい写真や短歌を添えました。芸術的なプライドが彼女にあることもSNSでやりとりして面白かった理由の一つです。失礼ながらありす🍑さんの思考回路を分析しはじめたのもこのころからです。

それから半年ほどは、ありす🍑さんが自分の幼少期や仕事についての考えを書くと私も自分の幼少期や仕事について書く、私が書くとありす🍑さんもと、エアリプのようなそうでないようなことがありました。そこで分かったのは、妹さんの面倒をよく見ていたことと、コロナ禍で子どもに携わる仕事をしているので外出を自粛していることでした。私も妹がいます。英語で身を立てたい妹の留学費用を心配して大学の生活費を断ったりしておりましたので、彼女の姉としてのプライドは身近に感じました。

2022年春に彼女が失言をしたとき、私はフォローとフォロワーを整理して、厳しい態度で詰めました。ここで強くありす🍑さんに嫌われたのだと思います。2022年秋に私の父が亡くなったとき、ありす🍑さんの父親の話を聞いたことがないことを不思議に思いました。ありす🍑さんの文を綴るときの素直さはずっと私の文章作成に影響を与えてきました。色々なことを考えて自分を出さずにきた私を変えたのはありす🍑さんです。

そして、彼女とのやり取りを通して、子育てへの考えも深まりました。子育てにおいても自分の考えをきちんと子どもに伝えることができるようになりました。それまで、怒るべきか甘やかすべきか立ち尽くしていた私が、親としてふるまえるようになりました。ありす🍑さんがいなければ、私は今もなあなあで子育てをしていたと思います。第1子は絵画教室で絵を学び始めました。

今私がここまで自分の考えを素直に書き出せるようになったのはありす🍑さんのおかげです。だからこそ、ありす🍑さんの力になりたいし、以前のように素直に色んな言葉を交わしたいと考えています。ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。お読み下さった方、どうぞありす🍑さんにこのブログについてお伝えください。ありす🍑さんは本来はとてもいい人なんです。