半径5メートルはババァゾーン

38歳一ババァの日常を皆さんにお届けします。

妹との思い出

おはようございます。ポスト田イット乃です。

 

朝方、涼しくなってきましたね。寝冷えなどされませんように。

 

さて、本日は20年前、私が大学受験浪人をしていた頃の話をしましょう。予備校は代ゼミなのですが、友だちに夏期講習に誘われるまでの半年間は自宅浪人生でした。浪人してすぐに親父不調の正体が難病であることがわかり、同時に飼い猫が白血病であることもわかり、9つ下の妹は生意気盛り、そんな環境でした。ペット病院への送迎や、父の付き添いで外に出ている母の代わりに洗濯物を畳む、生協をたのむなど何となく家でやることがありました。

18歳ですから、実際に家事ルーティンをしっかり回していたわけではなく、生協を頼みすぎて怒られたり18歳なりのお手伝いだったとおもいます。そのときに、夜はまっていたのが、ミヒャエル・エンデムーミンの読み聞かせでした。妹は年相応に、高慢で怒りんぼ、気性強めで小柄、社交的、国語が苦手、宿題はしない。大学進学で近くの大学を考えてなかった私は、かなり真剣に読み聞かせをしていました。朝から彼女の高慢な態度を叱って喧嘩をしてなどしていました。兄が大学進学でいなくなった寂しさを知っていましたので、彼女にも同じ気持ちを抱いてほしくなかったのだと思います。

ケーブルテレビのアニメチャンネルを見たがる彼女を制しての、大体1時間、ときに2時間にも及ぶ読み聞かせは、正直妹にとっては苦痛だったと思います。若いながら自分もよくやりました。平日毎日、夜小学生にドイツ児童文学を読み聞かせをする、それを数ヶ月続けていると、夜怖い夢を見ました。洋風のドア🚪の前に立つ夢です。ドアだけの夢を起きた時に怖いと思ったので、それを、見たあとに何度か自分で夢解きをしました。中学のときに読み漁った心理学の本に書いてあったからです。

夢はドア🚪だけだったのですが、そのとき読んでいた児童文学作家の切実な思いではないかとの仮説をたてて、ミヒャエル・エンデの作品解説を読み、ファシズム、とくにナチズムへの対抗があることがわかりました。そこが繋がったのは感覚的なものです。私の好きな教科は倫理で、高校の授業はほとんどなく、受験科目でないにも関わらず副読本を読み込んでいました。ムーミンはそれから10年後、新婚旅行でムーミン博物館に行った時に知りました。トーベ・ヤンソンが世界的な作家であるのは、ナチズムに批判的であったからであることがささやかに触れられていました。

児童文学作家の思想家としての側面に考えを深めると同時に、子ども向けの作品を作る作家へ不信の目を持つようになりました。可愛いモチーフで子どもの目を引き、自らの思想の体現者として大きく育てる、子どもの意思に関わらずそのような環境に置く、そのことが罪であるかのように感じられるようになりました。それは対ナチズムという世界的に大きな大義名分があったとしても、です。

大学時代に、課題ではない女性ファッション誌研究をしていた、類似するものとして「暮しの手帖」関係も見ていた、それらはその不信の目があったからです。どんなあたりが柔らかいものでも、疑ってかかる、批評する、考え続ける。大学でメディアリテラシーの重要性を知り、なお正しい道としてそれらを行う。その姉の姿を妹がどう見ていたのかは分かりません。この夏うちの家族と、子ども2人、妊娠中の妹と遠方のリゾートホテルに滞在したことを言い添えておきます。20年間、がんばりました。

そのような目を持ちながら、まともな社会人生活がスタート出来るわけがありません。学歴としては一浪一留フリーター期間あり肉体労働多めの経歴を引っさげて私は社会に出ていくことになりました。それはまた別のお話。

私がありすさんに同情の目を向けるのは芸大で習ったことでしょうか、彼女が私と同様の現象読みをしているからです。彼女はX外の文献に当たりませんから、正解にたどり着けるとは思っていません。彼女もまた妹のように思っています。