半径5メートルはババァゾーン

38歳一ババァの日常を皆さんにお届けします。

「何か」がない人に寄り添うこと


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こんにちは、ポスト田イット乃です。本日はケア哲学を。

 

最初に、人生の再現性と一回性についてです。

私たちは毎日、起きて活動をし、間にご飯や身体を清めることを適宜行い、寝るを繰り返しています。日本の平均寿命は男女とも80年を越えているので、それだけの長い時間があれば、どの活動も100万回以上やることになります。十分再現性があると言えるでしょう。

しかし、人は、再現性に対する一回性に強く関心を持つことがあります。ある人は強く死を意識したときにそうなりますし、物を作ることを生業にする人は一回性に意識がないと、作ったものが成り立ちません。何度でも同じことができるという意識では、作れないものやできないことがあるのです。

そこで、タイトルの"「何か」がない人"についての話をします。"「何か」がない人"は一回性に意識がある人と私は考えます。再現性に意識がある人にとっては、「何か」は再度得ればよいものであるだけで、わざわざ言及するまでのものではないからです。再現性よりも一回性の意識が強いため、「何か」がないことがその人にとって大きな関心ごとになるのです。

一回性の意識を強くもちながら生きることはガラスの身体を持ち、薄い氷の上を歩くようなものであると、私は経験上言います。そのような心持ちで3人の子育てはできないので、大分苦労して再現性に意識を置いています。しかし、子どももまた一回性と再現性の意識を頻繁に切り替えてくるので一回性を意識する心持ちを配慮しないことはできません。

対して高齢者は一回性が強く出ていることが多い存在です。寄り添う相手の意識が再現性と一回性のどちらにあるのかを見ながら対応を決めていく、そんな繊細な人への寄り添い方があることを1つ書きとめておきたくなったので1文寄せました。

読んでくださりありがとうございました。