半径5メートルはババァゾーン

38歳一ババァの日常を皆さんにお届けします。

ワスはセワシ君

こんばんは、ポスト田イット乃です。

↑20代のワス

美女の末路

ワスの曽祖母は美女でした。中高生の4人の子どもと夫との集合写真の真ん中に一際美しく微笑んでいた写真を見たので、これは確かなこと。曽祖父が北海道拓殖銀行に勤めていたときに北海道で恋愛結婚して本州に連れてきた人だそう。お琴が上手で料理は下手でした。

曽祖父の実家は地主の家。曽祖母が子連れで駅に行くと、子が横にいても男が口説きはじめ、小遣いをやった近所の子どもには一生の思い出にされるなど、美女に相応しい待遇を受け続けた彼女。しかし、人の美は老いには勝てないのです。

思うようなチヤホヤが得られなくなった曽祖母がハマったのが呉服。通いの呉服屋への支払いのために持っていた土地を失いました。若い頃からチヤホヤされ続けて高まった承認欲求。その暴走は一家の家計をなぎ払いました。折しも戦後の混乱期、長男長女は大阪に稼ぎに出ていきました。次女は地元で温かい家庭を築き、次男は同じく銀行員になりました。

その長女がワスの祖母にあたります。良いものを良いと言い、悪いものを悪いと言い募る才能豊かな人でした。そして1番曽祖母を憎み、曽祖母への恨み言を多く残した人でした。ワスが承認欲求を暴走させる人を見逃せないのはドラえもんセワシ君のような気持ちがあるのです。

「おじいちゃんがしっかりしてくれないから、僕のお年玉が50円なんだ。」と言いながら未来からお節介ロボットドラえもんを差し向けるセワシ君。タイムマシンで未来を変えることは違法だろうけど、その気持ちはよく分かります。

 

祖母とほぼ同い年のファッショニスタ現る

先日、「私の旧姓はポスト田なのよ。」という方に出会いました。奇遇にも、曽祖母が散財した土地の出身です。年齢は祖母とほぼ同じ。絞りの着物をダウンコートに仕立て直したものを着てらっしゃって、全てご自分で仕立ててきたそう。パッチワークのベストの1つを指差して「これはおじいさんの羽織、これはおばあさんの!」

そのときから私は、曽祖母が土地を売って集めた呉服はどこに行ったのかを想像するようになりました。祖母の母ですから、曽祖母はポスト田ではありません。京都に遠縁の親族がいる話は聞いたことがあり、祖母と祖父が結婚したときにできた親族関係で処分した可能性もあります。

祖母は3年前に亡くなりました。祖母が憎んだ呉服を美しい洋服に仕立て直した人と出会ったことは、祖母への弔いであるように感じました。このことから、ファッションは過去を語り未来を作るタイムマシンだと強く感じました。ファストファッション全盛の今は忘れてしまいがちなことですが、着物は私たちよりも長生きする場合もあるのです。

 

お読み下さり、ありがとうございました。