おはようございます、ポスト田イット乃です。
本日は旅慣れた私の話など聞いていただきましょうか。昨年亡くなった父が、大阪市立大学のワンダーフォーゲル部でした。端的には里や山や離島にいく活動であり、思想的には国土の確認を通して国民意識を高めるというドイツ発祥の青年活動がワンダーフォーゲル。旅行先で読んだ書物にそう書いてあり、感心した覚えがあります。ワンダーフォーゲル活動中に出会ったのが私の母で、ワンダーフォーゲルなくば私は産まれていなかった、そう断言できます。
父に連れられる旅行は、自然とふれあい、土地の美味しいものを食べにいくことが多くありました。しかし、昨日はあちゅうさんがnoteに書かれたように、ほとんど覚えていません。そこに寂しさは感じるものの、子どものときに旅行先で食べた食べ物ほど美味しかったものはないと20歳そこそこでも傲岸不遜な気持ちを持つようになりました。
同じ待遇で育った兄は、「子どものときの車の長距離運転旅行は旅行嫌いを作る。」と卑下していました。私は、彼が就活のときのエピソードとして、ほとんどの都道府県に行ったことがあることを知っていますので、また兄貴の自己憐憫が始まったと鼻白んでいました。親が子を思い何をやったとしても、自己憐憫の材料になりうるのです。子育てに正解はなく、ないのならば、子どものために自分を犠牲にしない道を選んでいこうと考えている昨今です。
平成の初めの頃。最長8時間にも及ぶ家族みんな一緒での長距離運転の車内にはスマホもYouTubeもありません。親選曲のカーステレオを聞くか一緒に歌うか、車酔い覚悟で読書をするかの3択しかなく私たち兄妹の読書好きと視力の悪さはそれに由来するものでありましょう。読書で世界の色んなことを知ればわざわざ出かける必要もなく、思えば贅沢な話です。
旅行先での滞在時間と車での移動時間がほぼ同じである残念な旅行のエピソードは、私の花嫁のスピーチでも活用しました。子どもが就活や結婚式の晴れ舞台で思い出すのであれば、十分元は取れているのではないでしょうか。
なぜ父がマイカー移動にこだわったのかを、ここ数ヶ月ほど考えていたのですが、私の父が旅行好きでパフォーマンス好きな見た目によらず繊細な人間であったのだと推測しています。慣れた匂いの中にいないと不安になってしまう、そんな自分を克服しようと参加したのがワンダーフォーゲルであって、子どもをもっても繊細な自分を守りながらできる家族サービスが率先して行っていた長距離運転だったのでしょう。
父が亡くなる前の1年間は、父が私にしてくれたことを子どもにできるのかを自問自答する1年間でした。あんなに美味しいものを食べさせてあげられるのか、子どもたちに苦痛でもある長距離移動を強いて良いものなのか、贅沢な悩みを取り出しては直しを繰り返しました。子どものときの旅行のごはんが美味く感じた理由は、父母が美味しそうにものを食べているところ、自分が美味しそうに食べているところを見守ってくれていた姿だと気づき止めました。
あのとき家族みんながいた。父の精一杯があった。美しい思い出である必要はありません。